「M&A仲介会社は買い手の味方をしがち」と世間では言われております。つまり少しでも安く買い叩こうとすると思われているということです。
しかし、そんなことないですよと「M&Aの仲介会社の利益相反の問題」についての記事で説明しました。まともな仲介会社は中立な態度でM&Aを進めるのです。
とはいえ、仲介ではなく、売り手や買い手の一方だけにつくFA(ファイナンシャルアドバイザー)の立場であれば、依頼者側の利益を高めるインセンティブは働きます。
つまり、売り手のFAに入れば「少しでも高く売ろう」と考え、買い手のFAに入れば「少しでも安く買おう」と考えるということです。
ですから、買い手のFAが買収価格を下げようとするのはおかしなことではありません。むしろ依頼者に対して誠実とさえいえます。
では実際に買い手はFAをつけることによって、M&Aにおける買収価格を下げることができるのでしょうか?
これが面白いことに、FAをつけないほうが安く買えるというデータがあるのです。
M&AにおけるFA(ファイナンシャルアドバイザー)の役割
その前に…。知っている人もいるでしょうが、M&AにおけるFA(ファイナンシャルアドバイザー)の役割について簡単に説明しておきたいと思います。
FAとはM&Aに関する財務面でのアドバイスを提供する専門家のことです。具体的には企業価値の評価やデューデリジェンス(調査)、交渉の支援などを通じて、取引の全過程でクライアントの意思決定をサポートします。
FAの業務内容は幅広く多岐にわたります。以下に代表的な業務を挙げて解説します。
(1) 企業価値評価
M&A取引において適切な企業価値の評価は不可欠です。FAは財務諸表や市場分析を通じて、企業の価値を公正に評価します。具体的な手法としては、DCF(ディスカウントキャッシュフロー)法、類似会社比較法、取引事例比較法などが用いられます。これらの方法を用いることで妥当な価格を算出します。
(2) デューデリジェンス
デューデリジェンスとはM&A対象企業の詳細な調査を行うプロセスです。例えば財務デューデリジェンスでは、対象企業の収益性や負債、キャッシュフローなどを細かく調べ、潜在的なリスクを特定します。FAはこの過程を指揮し必要なデータ収集と分析を行います。特に、企業の将来の収益性や負債負担能力などを精査することにより、取引に伴うリスクを正確に把握できるようサポートします。
(3) 交渉支援
当然ですがM&Aにおいては交渉が重要なポイントです。FAはクライアントが有利な条件で交渉を進められるように、専門的な視点から支援します。具体的には買収価格の調整、取引条件の詳細な取り決めなど、双方が納得できる合意を得るために協力します。FAが交渉の場に立ち会うことで、交渉がスムーズに進み取引が成立しやすくなります。
☑︎M&Aの流れと期間!平均は半年から1年半、早いと3ヵ月で最終契約が成立
(4) 資金調達支援
M&A取引には多額の資金が必要です。そのため、最適な資金調達の手段を提案することもFAの役割の一つです。銀行借入、社債の発行、または株式発行など、様々な資金調達手段を考慮し、クライアントに最も負担の少ない方法を選定します。また、FAは金融機関との交渉にも参加し、クライアントが有利な条件で資金調達を行えるようにします。
☑︎M&Aの資金調達と銀行融資、中小企業が買収するときでも貸してくれる?
(5) 取引後のフォローアップ
取引が完了した後もFAの仕事は終わりません。M&A後の統合プロセスにおいてもサポートを提供することがあります。経営統合は多くの企業にとって課題となるため、事業戦略の策定や財務面でのサポートが必要とされます。FAはM&Aがもたらすシナジー(相乗効果)を最大限に引き出すため、統合計画の立案や進捗管理などを支援します。
FAが絡むM&Aは買収価格が高くなりがち
上記の役割を果たすことで、FAはクライアントの利益を守りつつ、取引の成功に貢献します。
ですから、もしあなたが買い手側の経営者だったとしたら、FAに依頼すれば買収価格を安くできると期待するかもしれません。
しかし、必ずしもそうではないのです。
FAをつけると売却価格は高くなる
ハーバード大学のフアット・エーサー博士らが、FAがM&Aにおける取引価格、プレミアム、成約率、リターンにどのような影響を与えるのか調べた研究があります。
この研究では1978年から2020年までのM&A取引をトムソン・ロイターのデータベースから取得して分析しています。
その結果まず、FAをつけることでM&Aの成約率が高まることが分かりました。これはFAが交渉をスムーズに進めるために調整役になってくれることが理由といえます。
さらに分かったこととして、売り手側はFAをつけると売却価格が高くなることが分かりました。これは想像通りですね。売り手側のFAは売り手の利益を最大限に考えるのですから、高く売ろうと努力します。
FAをつけると買収価格も高くなってしまう
驚くことに、買い手側もFAをつけると買収価格が高くなってしまうことも分かりました。つまり社内にM&Aの専門部署がある場合、そちらが対応したほうが安く買えるということです。
また、株式取得の際に上乗せする価格(プレミアム)もFAをつけたときのほうが高くなりがちでした。さらに、買収後の収益率(リターン)は低くなる傾向があることが分かりました。
買い手側のFAは買い手の利益を最優先すべきですから、安く買えるようにしなければならないはずです。しかしなぜ高くなってしまうのでしょうか?
FAが買収価格を高くしてしまう理由
それはFAの報酬体系が関係しています。FAの報酬は通常、取引の成立時に成功報酬として支払われ、その額は取引規模に比例して増加する契約が多いです。
つまり買収額が高いほうが多くの手数料を得られるということです。
そのため、買収側FAは必ずしも買収価格を安くすることを重視せず、むしろ取引を成立させるためなら高くても仕方ないと考える可能性さえあります。
☑︎M&Aのアドバイザーは怪しい奴らばかり。胡散臭い相手を見極める注目ポイント
CEOとCFOのインセンティブとFAの関係
さらに、買収側企業のCEO(最高経営責任者)はM&Aを成立させることで追加ボーナスを得られる場合があります。こういったケースではFAに対し「どんなに高くても良いから買ってくれ」という圧力を掛けがちになりますから、金に糸目をつけなくなります。
また別の研究ではCFO(最高財務責任者)も自分のキャリアに箔をつけるために、リターンの少ないM&Aに手を出すことがあると分かっています。「企業買収の経験あり」と履歴書に書くためのM&Aということです。
これらのインセンティブを持つCEOやCFOはM&Aの成約率を高めるために、FAを使う可能性が高いです。こういった条件もFAが買収価格を高くしてしまう要因と考えられます。
☑︎M&Aを成長戦略の柱に据えたいなら、社内の専門家を育成することが必要かもしれない
FAの価値を最大化するために
以上の研究結果から、M&AにおけるFAの存在は売却側にとっては利益をもたらしますが、買収側にとっては必ずしもそうではないことが分かります。
特に買収予定企業の価値を過大評価するバイアスには注意が必要です。価格交渉や経営統合後のリターン予測の際には、慎重かつ客観的な判断が求められます。
さらに、FAの選定に際して報酬体系やインセンティブの仕組みを再検討することで、M&Aによる価値を創出できる体制を整えることも重要です。
仲介会社の場合も、買収側の手数料を事前に固定したり、買収価格と反比例する手数料を設定することもあります。これに関しては巷で悪く言われる、「安く買い叩けたことに対するボーナス」とは異なる性質のものですから、常識的な範囲であれば売り手に対する背任とは言えないでしょう。
このように、M&AにおけるFAの関与は、そのメリットと同時にリスクも伴うため、企業側の経営判断やガバナンスの強化がより一層重要となります。
参考文献:Ecer, C. F. J., & Trautmann, S. T. (2020). Done Deal! Advisor impact on Pricing, Premia, Returns, and Deal Completion in M&A. (CentER Discussion Paper; Vol. 2020-032). CentER, Center for Economic Research.