M&Aを従業員に説明するとき「心理的契約」に注意して話さないと失敗する

企業がM&Aを行う際、経営陣は財務データや将来の収益予測に基づいて意思決定をします。しかし、その予測が外れることも多いです。海外の上場企業のデータですが60%から80%が株主価値をまったく増加させていないという結果もあります。

このような失敗率の背後には、従業員の期待である「心理的契約」を十分に考慮しないことがあると考えられます。心理的契約とは、雇用者が従業員に対して明確に約束したわけではないものの、従業員自身が雇用関係を通じて感じ取る期待のことです。経営学の世界で出てくる用語ですね。

心理的契約には、昇給、ボーナス、昇進、キャリア開発、雇用の安定性、仕事の責任といった要素が含まれます。これらの期待がM&Aの過程で満たされない場合、従業員は不満を抱え、企業の業績に悪影響を及ぼす可能性があるのです。

心理的契約のタイプとその影響

心理的契約は大きく分けて取引的契約関係的契約の二種類に分類されます。取引的契約は短期的で具体的、かつ金銭的な利益に関する期待を指します。一方、関係的契約は長期的かつ広範囲な期待であり、雇用の安定性やキャリア開発といった要素が含まれます。

M&Aが行われると取引的契約に関する違反が起こることがあります。例えば、従業員が毎年のボーナスを当然視している場合、M&A後にボーナスが削減されると、会社への信頼を失う可能性があります。

一方、関係的契約の違反はより深刻な影響を及ぼすことがあります。例えば、キャリア開発の機会が失われたり、仕事の責任が急に変わったりすると従業員は強い不満を抱くことがあります。

心理的契約の違反が発生すると、従業員は「裏切られた」と感じ、怒りや失望、さらには会社への不信感を抱きます。この感情は単に業務効率を低下させるだけでなく、離職率の上昇や職場の士気低下といった結果を招く可能性があります。

M&A後にリストラ(解雇)すると業績が悪化する」の記事でも説明しましたが、企業の業績は従業員のモチベーションで黒字にも赤字にもなりますから、心理的契約が守られることは非常に重要なことです。

M&Aを経験した従業員の約51%が心理的契約の違反を経験している

イリノイ州立大学のクリスティ・ヤング博士らがM&Aを経験した企業の従業員493人を対象にアンケートを実施しています。その結果、回答者の約51%がM&Aによって少なくとも一つの心理的契約の違反を経験したと答えています。

さらに、約12.2%の回答者は4つ以上の違反を経験したと述べており、この問題の深刻さが浮き彫りとなっています。

具体的な違反の内容としては、以下の要素が多く挙げられています。

  • 昇給(23.3%)
  • 昇進(23.1%)
  • キャリア開発(23.1%)
  • ボーナス(20.5%)
  • 雇用の安定性(17.8%)
  • 仕事の責任(17.6%)

また、取引的契約の違反は関係的契約よりも頻繁に発生する傾向が見られました。それに伴う従業員の「裏切られた」という感情の深さも顕著でした。

違反を経験した従業員の中には、組織に対する信頼を失い、ネガティブな行動を取ると回答している人もいました。

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心理的契約に違反することがM&Aの失敗につながる要因

心理的契約違反により、従業員の期待が満たされないと組織全体のパフォーマンスに悪影響を及ぼします。具体的には以下のようなことが起こり、M&Aそのものが失敗だったということになりかねないのです。

1. 従業員の不満が生産性を低下させる

心理的契約違反が発生すると、従業員は失望感や怒りを感じます。それにより以下のような影響が生じます。

  • モチベーションの低下:組織に対する信頼感を失い、自分の役割に対する意欲を失う。
  • 仕事の質の低下:不満を持つ従業員は効率や質の高い仕事を提供しなくなる。
  • 協力の減少:チームワークが損なわれ、従業員間の協力が難しくなる。

これらの要因が連鎖的に組織全体のパフォーマンスに影響を与え、M&Aの目的達成を妨げます。

2. 心理的契約違反による離職の増加

心理的契約違反が生じると、一部の従業員は「裏切られた」と感じ、会社を去る可能性が高まります。特に以下の点が問題となります。

  • 重要な人材の流出:キャリア開発や昇進の約束が守られないことで有能な従業員が他社に移る。
  • 採用コストの増加:離職者を補充するために新たな採用活動が必要となり、時間とコストが発生する。
  • ノウハウの喪失:組織内で蓄積された知識やスキルが失われ、事業運営に支障をきたす。

これらの結果として、M&Aの統合プロセスが滞り、予定していたシナジー効果が得られなくなる可能性があります。

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3. 組織文化の統合が難しくなる

心理的契約違反は、特にM&A後の組織文化の統合を困難にします。

  • 従業員の対立:期待が異なる従業員同士の間で摩擦が生じやすい。
  • 信頼の欠如:M&Aによる変更が透明性を欠いている場合、従業員は会社の決定に疑念を抱く。
  • 組織統合の遅延:文化的対立や不満が原因で、組織全体の統一した目標に向けた協力が難しくなる。

これにより、M&A後に新しい組織を効果的に運営する能力が損なわれ、計画通りの成果を上げられなくなります。

4. 財務的影響の拡大

心理的契約違反による従業員の不満や離職は、予想外のコストを発生させます。これらのコストには以下が含まれます。

  • 訴訟リスク:従業員が契約違反を主張して訴訟を起こす可能性。
  • 生産性の損失:一時的な生産性の低下が組織全体の収益に悪影響を与える。
  • 追加の調整費用:不満を解消するためのボーナス支給や福利厚生の改善など、追加の出費が必要になる。

これにより、M&Aの事前の見通しで期待されていた財務的成果が実現できなくなる可能性があります。

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売り手・買い手の双方が従業員の心に寄り添うことが大事

以上のようにM&Aにおいて、従業員の心理的契約を軽視するリスクの大きさが分かると思います。

売り手・買い手の双方がM&A前から従業員が持つ心理的契約を意識することが重要です。

またPMI(M&A後の統合プロセス)においては、従業員の心に寄り添った丁寧な説明を心掛けましょう。

条件面だけを説明しても納得する従業員は少ないのです。

参考文献:Kristie M.Young, William W. Stammerjohan, et al. (2017). The Hidden Cost of Mergers and Acquisitions.