異業種の社長に掛かってきた飲食店のM&Aを打診する電話
もうだいぶ時間も経ち、クライアントからも記事にする許可をもらったので共有しておきたいと思います。
私はファイナンシャルアドバイザリー業務だけではなく、経営コンサルティングもしていますが、そちらのクライアントに飲食店のM&Aの打診が来たときの話です。ちなみにこのクライアントは飲食業ではありません。それどころか「食」とは程遠いビジネスを手掛けています。
M&A仲介の会社から電話で打診があって社長が検討することにしたのです。この時点でだいぶ怪しいと思いました。なぜなら中小企業のM&Aは売り手を見つけるより買い手を見つけるほうが簡単だからです。
謄本で調べた社長の自宅にまで「会社を売りませんか?」と営業がくるくらい、売手市場なのです。資本主義社会は「お金を出したい側」のほうが多いので当然ですが。つまり、まともな会社であれば同業で買い手は見つかるはずなのです。
とはいえ私も最初に相談された時点では、聞いたことのないM&A仲介の会社だったので「コネクションがなくて買い手を見つけにくいのかな」くらいにしか思いませんでした。
ノンネームも守秘義務契約もナシ
「とりあえずその仲介会社の担当と会うから一緒に来てくれ」と言われてついて行ったのです。ここで驚くべきことが起こりました。打ち合せ場所が現地なのです。要するに売りに出された飲食店の店舗です。
一般的なM&Aの流れとしては先にノンネーム(社名を伏せた概要)などを見せて買い手の興味を探り、売り手の名前を明かす時点で守秘義務を締結するのですが、そんな手順は全てすっ飛ばして、いきなり店舗を見せられたのです。
この時点で売り手側の人間はおらず、仲介会社の担当者が預かった鍵で営業時間前の店を開けて中に入りました。不動産屋が物件を案内しているような感じです。
利益の10倍の企業価値評価
ここからさらに驚きの展開を見せられることになります。
まず資料が何一つ用意されていないのです。なので口頭で売上高や粗利などを確認することになります。
しかも担当者もかなり曖昧でその数字が正しいのか不明です。
そのくせ売却希望額はしっかり決まっていて、飲食店のスモールM&Aにしては安くはない金額を言われました。きちんとしたバリュエーション(企業価値評価)に基づくものだと言っていました。だったらその算出に使った資料を持って来なさいよ!とキレそうになりましたが…。
ちなみに年間利益の10倍ほどの売却希望額でした。これから爆発的に伸びるであろうベンチャーであれば良いですが、その可能性はほとんどない飲食店で利益の10倍は高すぎです。負債も0円ですが資産といえるようなものもナシでした。
賃貸の店舗なので最初の契約時点で預け入れた保証金がかなりあるのでは?それも含めた金額であればこちらで妥当なラインを算出できるかもしれないということを伝えました。すると担当者はかなり動揺して「確認します」とか言い出しました。バリュエーションをちゃんとしてないじゃないかよ…
怪しすぎるので、買うにしても事前に家賃交渉をすることはできないか?という建前で店舗物件の所有者か不動産管理会社につないで貰えないかと打診しました。COC条項(※1)がないとはいえ不動産オーナーと揉めると大変なので全てが建前ということもなかったですが…
そしたら「個人情報が…」とか言い出す始末です。謄本やネットワークシステムを見ればオーナーも管理会社も簡単に調べられるのに…。M&Aの守秘義務さえ結ばない奴がどこに拘ってるんだという話です。
この時点で私の中には一つの仮説が浮かんでいました。
※1 COC条項(チェンジ・オブ・コントロール条項):M&A等で支配権が変更された場合に、契約内容を解除したり変更できる特約。通常100%株式を取得した場合には賃借人は変更されないため、既存の賃貸借契約が変更されることはないが、COCが付いている場合には変更できてしまう。
原状回復費用を払えない賃貸契約の押し付けをM&Aと言って騙しているだけ
事務所に戻ってからその店舗の不動産情報を調べたら、幸いにも募集時のアーカイブが見つかりました。
飲食の店舗を借りるときは事前に家賃の10ヵ月程度の保証金を預け入れることが多いです。家賃の滞納や退去時の現状回復で取りっぱぐれないように貸主がそれくらいは要求するのです。しかし、この店舗は保証金2ヵ月分で貸してもらえる物件でした。借りる人が少ない不人気物件だったのだと思います。
当然ですが家賃の2ヵ月分では退去時に必要な原状回復に掛かる費用を賄うことはできません。不足分は借主が追加で支払う必要があります。
勘の良い人なら気づいたと思いますが、今回のM&Aの売主は店を畳みたいけれど現状回復費用を支払うだけの資金がないのです。そこでM&Aを考えたのです。
本来であれば借金をしてでも現状回復をしなければならない状況ですが、M&Aをすればその必要がなくなるどころか現金まで手に入るのです。
「物は言いよう」と言われますがまさにその通りです。やろうとしていることは「原状回復費用を払えない賃貸契約の押し付け」ですが、「M&A」と言い方を変えるだけで、印象がガラッと変わります。行動経済学のフレーミングです。
M&Aという魔法の言葉を使えば原状回復費用に限らず、リース品の残存契約をはじめとした閉店に掛かる費用をすべて押し付けることができるのです。当然、このような案件を買収するようなことはしませんでした。
☑︎M&Aのアドバイザーは怪しい奴らばかり。胡散臭い相手を見極める注目ポイント
飲食店のスモールM&Aは要注意
今回の事例は決してレアケースではありません。むしろ小規模な飲食店のスモールM&Aではこのパターンがかなりの割合であると思います。
M&A仲介サイトの飲食店カテゴリをいくつか確認しましたが、売上高1,000万円前後で利益も大して出ていないのに、けっこうな売却希望金額を出している案件が多いです。
もちろん仲介会社への手数料で消える可能性もありますが、現状回復費用を支払う義務は免れればそれだけでも大助かりです。什器や調理器具のリースの残存も押し付けることができます。
小さな飲食店というのは経営者との関係で来店している客も多いです。ノンネームで提示された来客数や売上高はあてにならないのです。
そもそも飲食店は開業1年以内の廃業率が非常に高い業界です。M&Aしようと思っている時点で売主は先が見えないと判断しているのです。
もちろん特定のエリアで知名度のある飲食チェーンや、地元でブランド力のある老舗を買うなら別ですが、1店舗しかない個人経営のような飲食店を買うのは無駄な出費でしかないと思います。
飲食店をやりたいならM&A仲介会社ではなく、不動産仲介会社と居抜きで借りる契約をすれば良いのです。それだけで数百万円の節約になります。
とはいえダメになった飲食店を居抜きで借りてもうまくいく可能性は低いと思います。全く同種の店を同じコンセプトで運営するでもない限りは前の借主が残した造作の価値は0円どころかマイナス数百万円と評価しても良いくらいです。とにかく飲食店のスモールM&Aは要注意です。
M&Aで売主になったときは
売主側になったときについての余談ですが…
投資の格言に「売りは早かれ、買いは遅かれ」という言葉がありますがM&Aでも同じことがいえると思います。「今、売るのはもったいない」と思っているときは買手からしても魅力的な時なのです。
売りたいと思ったときは誰もほしくないということもあります。もしあなたが会社の売却を考えているなら売り時を間違えないようにしましょう。